2011年6月6日月曜日

エリザベス皇太后とコーギーの城で同性愛騒動

(The Telegraph記事翻訳)

ハイランドにあるエリザベス皇太后の元住居が、ホモセクシュアルやレズビアンの人々の結婚式を執り行うことを拒否する一方、クリスチャンの結婚式には門戸を開いたために同権騒動に巻き込まれている。

(スコットランドの)ジョンオグローツ近くのメイ城の管財人は、故エリザベス皇太后は人々がクリスチャン結婚式で結ばれることを好んでいたので、(資格のある)聖職者か代理人によって執り行われるクリスチャン結婚式にのみ城を提供することに決定したと述べた。

皮肉なことにこの決定によって、メイ城の保管委員会の会長を務めるチャールズ皇太子が、1950年代に彼の家族の所有となったこの城で結婚式を行うことができなかったのだ。スコットランドではロズセイ公爵として知られている皇太子は、2005年にウィンザーのギルドホールでカミラ・パーカー・ボウルズさんと民事結婚したのだ。

1952年に皇太后がメイ城を初めて見た時、俗世から隔離されたその佇まいに一目惚れ。
これは1986年に城の庭で撮影された、皇太后と彼女の愛するコーギーたちとの写真。


エリザベス皇太后の住居だったスコットランドのメイ城で同性愛結婚式騒動。


メイ城は結婚式を執り行うための免許は所有していないと、城の保存団体の管理者ジェームズ・マレイさんは述べた。だが、すでに宗教結婚式を執り行う資格のある聖職者や代理者が行うならば、メイ城でクリスチャンの結婚式を行うことは可能である。しかし城で民事結婚式を行うためには、メイ城は新たな免許を申請しなければならないのだ。

(ゆえに)この決定は、宗教結婚式を行えないカップルや同性愛カップルの民事結婚式を、この歴史的な城で行うことができない、ということを意味するわけではないのだ。

(だが)ゲイとレズビアン権利団体のアウトレッジは、墓所の中でエリザベス皇太后はこの決定に驚くだろうと主張した。

同団体の広報担当ディビッド・アリソンさんは付け加えた。「エリザベス皇太后はゲイの人たちをそばに置いていた方なのだから、これはまったく馬鹿げたことです。そんな皇太后の旧住居でのこの差別は本当におかしい。彼女はゲイピープルを差別してはいなかったのです」

エリザベス皇太后のスタッフの中で有名な同性愛者は、彼女の使用人の故ウィリアム・タロンさんだ。彼は“バックステアーズ・ビリー”として知られていた。晩年の皇太后の傍らにはよく彼が伺候(しこう)していたのだ。

エリザベス皇太后に献身的に仕えた従者ビリー・タロンさん(後ろ)はゲイだった。


メイ城のウェブサイトの最新ニュースでは、城は10月~4月までビジターセンターと庭を結婚式に開放していて、料金は1,500ポンド、城でのシャンペンサービスのオプションもある。

エリザベス皇太后は1952年に初めてこの城を見て、修復と回復に数年を費やした。チャールズ皇太子とコーンウォール公爵夫人は毎年この城を訪れる。

エリザベス皇太后がコーギーたちと過ごした静謐なメイ城の佇まい。



読後の感想:
これはコーギーの記事ではないけれど、エリザベス女王同様にコーギー好きなエリザベス皇太后の記事なので掲載──と言うか、正直デイリーメール記事付属の皇太后とコーギーたちの写真が素敵だったので紹介したかっただけ。記事そのものは、背景事情がきちんとわかるテレグラフのほうを翻訳掲載した。宗教結婚と民事結婚の違いについては、他人様に説明できるほどの知識が私にはないので解説はできないけれど、チャールズ皇太子とカミラさんの結婚形態について少しググッてみれば理解できるかと思う。
一応つけ加えておくと、エリザベス皇太后はゲイカップルに理解があったらしい。その証拠に、彼女の信頼厚い従者のビリー・タロンさんはゲイで、同僚の男性が長年のパートナーだった人。タロンさんはエリザベス皇太后を敬愛し、献身的に彼女に仕えた人だったという。だから、その彼女が愛したコーギーたちを彼はとても大切にしていたみたい。彼も色々エピソードのある人なので、コーギーがらみのタロンさんの記事もそのうち紹介したい。


皇太后に付き添っているときの彼は、優しい表情をしていることが多い。
http://www.sanfranciscosentinel.com/?p=14478


英文記事:Former home of Queen Mother in homosexual weddings row
写真:Row over gay wedding ban at former home of Queen Mother