2011年7月2日土曜日

哀れな保護犬たちは安楽死させたほうが幸福か?

Daily Mail記事翻訳)


ブラジルのスラムはかなりひどい場所だが、本当に犬並みに落ちぶれた場所はただ1か所だ。

それは、このカシアス・ド・スルのファベーラ(ブラジルで貧民街を意味する言葉)というスラム街が、1,600匹の迷い犬を収容するための場所だからだ。

動物福祉団体“So Ama Just Love)”は、犬たちをズラリと並んだ犬小屋に鎖で繋いで飼っている。まるで映画“City of God”でお馴染みのトタン屋根の小屋が並ぶスラムのようだ。


1,600匹の犬のための犬小屋が並ぶ、ここは犬のスラム。ブラジル南部の町。


「当初私たちは、単純に世界を変えたいと思って始めたのですが、この計画はだんだん大きくなっていきました。そして悲しいことに、現在のこの飼い方が私たちにできるすべてなのです」と、同組織のマーケティング部長のナターシャ・オセラメさんは話した。

ブラジル南部の3エーカーの土地で、このような状態で1,600匹の犬と200匹の猫を飼うことを彼女は嘆いている。

ブラジルの主要都市全体で、何百万の都会の貧しい人たちと仕事を求めて故郷から出てきた地方からの移住者たちが居住する、このファベーラの光景は普通だ。

多くのスラム街には、麻薬の密輸に関連した暴力がはびこっている。

人間のスラム街のように、このドッグ・ファーベラが直面している問題は犬の飼育費用のやりくりだ。

獣医費用と1か月13トンのペットフードの費用は、寄付と地方自治体からの1か月概算14,000ドルの供給金ではとても賄えないとオセラメさんは話す。



この犬のスラムは、掘っ立て小屋に住む何百万もの貧しいブラジル人を反映している。


外国人のコメント:
この犬たちは生きているとはとても言えない! 私は動物好きで決して虐待などしたことはないが、この犬たちを安楽死させてやるべきだ。悲劇を終わりにするんだ。

なんて悲しいことだ。1日中同じ場所に閉じ込められて、走る場所も人間の愛もない。私は大の動物愛好家だが、これは犬の生きる環境じゃない。彼ら自身のために安楽死させるべきだ。ひどいことだが……本当に泣けてくる。自分の2匹の犬のことを考えると、もし彼らをこのような状態で飼うならばどちらも気が狂うだろう。ひどいことだ。

私は熱烈な犬好きで犬を飼っている人間だが、この犬たちは生きているとはいえない。安楽死させてあげるのが親切なのでは? 彼らにとって地獄の苦しみなのでは?

ひどいなんてものじゃない。人間は小さな犬小屋に鎖に繋がれていないから、人間とは比べられない。この団体ができる限りのことをしていることはわかるし、私も募金できたらと思う。この犬たちは無実の囚人だ。こんな暮らしで死を待っているだけの生活でいい動物などいない。

私は数千匹のストリート・ドッグがいるメキシコの犬たちをなんとかしたい。まず、犬たちを通りから連れ出して訓練して、ペットとして暮らせるようにして里子に出すんだ。人間の犬に対する認識を変えたいんだ。人間は犬の潜在能力を知らないから彼らをひどく扱うが、犬は友達、心のない動物じゃないんだ。

私は人間よりも犬を助けたい。犬の方が人間に多くのものを返してくれる。

この犬たちは餌と水と家がある。この国の番犬よりもましだ。記事では、人間との交流がないとは書いていない。餌やりやその他の交流はあるんだ。この犬たちの生活水準が悪いから安楽死などと、一体だれが決めるんだ? 理想的ではないかもしれないが、ここの人たちはベストを尽くしている。

この人たちは最善のことをしているさ。この犬たちは餌と水と家を与えられ、そして虐待されていない。彼らとこの犬たちに神の祝福があるように!

メキシコの犬たちを救いたいと言ったあなた、頑張って。もし私が金持ちなら手助けしたいけれど、残念ながらそうではないからできない。だから応援するしかない。あなた同様の愛犬家より。

人間が飢えて子供を虐待しているっていうのに、なぜこんな保護団体に猫や犬の世話を認めるんだ。まったく、実に馬鹿げている。全部殺してしまえ。そのほうがずっと簡単だ!

これはいいことだ! 他の犬たちと隣り合って不愉快な小さな檻の中に閉じ込められているぎゅう詰めのドッグ・シェルター、そして3日後に安楽死、それよりもよい方法だ。ここでは犬たちは自分の”家“を持ち、距離は離れ斜面に散らばっている。一緒くたに詰め込まれているわけではない。そして犬たちには新鮮な空気と陽光がある。いいよ、これは!

なぜ殺さない? 人間が飢えたり児童虐待をしているというのに。私は決して、猫や犬のチャリティーのための金など認められない。

犬たちが餌と家を与えられていることはありがたいが、それでも私は、毎日毎日鎖に繋がれてこの犬たちは罰を受けていると感じているのではないかと思わずにはいられない。犬には愛と、世話と、運動が必要だ。このように生きるのなら、私なら生きたくはない。

この動物たちを世話している人たちに、神の祝福がありますように。

この犬たちは絶滅危惧種ではないぞ。金は育児放棄された子供たちのために使え。

ああ、そうかい? じゃ、人間は絶滅種なのかね? 初耳だ。もしあんたが、絶滅種ではない動物は守られなくていいと主張するなら、なぜあんたが人間の子供を守りたがるのか不思議だねぇ。書き込む前によく考えてみろよ、なぁオイ?

あんたは本当に無価値な心の人間だな。次に私が動物保護に募金する時には、あんたに向けて2本指を立ててやるよ。(←Vサインとは逆に手の甲を相手に向けて2本の指を立てると、イギリスでは“くそったれ・くたばれ”という意味になるらしい)

リオデジャネイロのコルコバードは、ブラジルのファーベラ(貧民街)のひとつ。


読後の感想:
この記事の犬たちに、“現在の生活と安楽死、どちらを選択するか”と問うたら、彼らはどう答えるのか、それは犬にしかわからない。でも私が犬ならば、“それでも生きていたい”と答える。”安楽死させた方が犬のため”という海外の愛犬家さんたちのコメントによく出くわすのだが、私はいまだに彼らのこの考え方には馴染めない。私以外の日本人の愛犬家さんたちはどのようにお考えなのかはわからないが……。
海外でも、動物愛護派と反対派の人たちの意見は分かれるもの。基本的に、動物の記事を読む人たちの多くは動物好きや動物に関心のある人たちだから、その結果、当然動物愛護的なコメントが多くなる。この記事のコメントもそう。でも、中には反愛護派の人もコメントをつけることがある。そして、そのコメントが極端なものだったりすると、そこから大論争が始まる。この記事のコメント欄も、この先はそんな感じで進行していく。

英文記事:The real slumdogs
By DAILY MAIL REPORTER Last updated at 2:25 PM on 13th June 2011